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所長の部屋一号室・隠し部屋
  
先般、扶桑家系研究所としては初めての、そして所長自身二度目の講演会を行った。そのあらましをミニリポートとして紹介します(2007.3.28)
 
特別講座(開催日) 新聞告知 (高蔵寺中日文化センター) 会場
平成19年3月27日 2月17日中日新聞朝刊 3月5日春日井市内折り込み 高蔵寺中日文化センター
テーマ 豊臣氏の謎(豊臣氏存続) 秀吉の出自と没後の豊臣氏
 
平成19(2007)年3月27日(火)午後一時より、春日井市中央台1−2−2(高蔵寺ニュータウン)のサンマルシェ南館3階の高蔵寺中日文化センターに於いて、春の特別講座としてミニ講座を開催する事になりました。当初六名と聞いていたが、最終的には七名の参加があった。テーマは「豊臣氏の謎〜秀吉の出自と没後の豊臣氏〜豊臣氏存続」である。予定は一時間半、質問や延長も含め二時間の予定であった。以前の講演は二十分ほどなので何とかなったが、さすがに九十分話すというのは、筋立てや基本構想もあり大変な事と予想していた。実際に話すと大きな骨子は話せたが、細かい点では、話が前後になったり、違う方向に話が逸れたり大変でした。しかし、少し脱線したことで緊張もほぐれ、最後は結論まで無事に到達しました。参加者は、皆さん私より人生の先輩の方々でしたが、優しい眼差しでおつきあいいただきました。中にはこちらの話に頷き、ある男性の方は視線を逸らさず聞いておられました。学校で習った事、或いは歴史雑誌などで紹介されるのとは違う側面もあり、意外な部分もあったと思います。途中、清洲会議の時点で、秀吉は二つの隠し球を持っていた。秀吉は、なぜ近衛家の猶子になれたかという二つの質問をしたところ、一人の方は、きっちり回答されました。こういうテーマに関心を持たれただけあって、ある程度予備知識ももっておられた様です。系譜の事や裏の話は初耳のようで、熱心に聞いておられました。従来の秀吉や豊臣氏の事とは少しイメージが変わったかも知れません。秀吉の木下姓が、禰々(北政所)の実家に由来するのではなく、先祖が近江時代に称した家名(姓)への複姓というのも意外なように思われた様ですし、日本の歴史の上に豊臣家は無かったというのも従来と異なるもので以外に思われたようですが、最後の結論で納得いただいた様です。小さな講座でしたが、私にとっても貴重な体験でした。書くことも大変ですが、話すのはもっと大変というのが、このミニ講座を終えての私の素直な感想です。
(扶桑家系研究所 早瀬晴夫)
「豊臣氏の謎」については、リポート「謎々豊臣家」及び拙著『豊臣氏存続 豊臣家定とその一族(今日の話題社)』、『織豊興亡史(今日の話題社)』を参照されたい。
告知の新聞記事とパンフレットの写真は、講演終了により削除しました。(管理人)
  
扶桑家系研究所は、今後も色々な形で情報発信していきます。扶桑家系研究所は、扶桑町を拠点に情報収集・研究をしております。尾北地区なら講座などへの対応は可能です(特定商取引のページ参照)。
※ ご注意 特別講座(「豊臣氏の謎」)は、終了しています。
常設講座のお問い合わせは、高蔵寺中日文化センターへお願いします。
「豊臣氏の謎 豊臣氏存続」についてのお問い合わせは、扶桑家系研究所で承ります。
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