扶桑家系研究所 リポート13−5 
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扶桑家系研究所 リポート13−5
目次
長州幕末維新・明治の群像(幕末維新の群像5)
(近代日本百五十年の系譜5)
江戸末期、列強の来航を受け国内はその対処に苦慮し、鎖国の継続か開国かで幕府も混乱した。そうした状況の中、尊皇攘夷という概念が登場し広がった。しかし、下関戦争(長州対外国勢力)、薩英戦争(薩摩対イギリス)により攘夷が無謀なことを知り、尊皇・反幕から尊皇・倒幕派公武合体・佐幕派への対立へと移り変わり、その影響は諸藩にも及び藩論が二分されてゆく。安政の大獄が時代回転のスイッチを入れ、反幕から倒幕への流れが加速した。安政の大獄から明治維新までに多くの血が流された。幕末維新というと「薩長」が一番に喧伝される。長州の志士に影響を与えたのが、松下村塾塾長の吉田松陰(萩藩山鹿流兵学者である。久坂玄瑞(後に松陰の義弟となる)、高杉晋作は、その双璧と言われる。
吉田松陰略系図
文左衛門@−七郎兵衛A−文左衛門B−七兵衛C−百合之助D−寅次郎吉田松陰)=小太郎=道子
吉田重矩@―矩行A矩之B=矩直C矩定D―矩建E=賢良F矩方吉田松陰G小太郎H=道子I庫三J=衛K―紘
吉田重矩@政之(杉七郎兵衛)A―徳郷B―常徳C―常道D―矩方吉田松陰G小太郎H=道子I庫三J=衛K―紘  ※ 吉田松陰は、杉家を介して吉田重矩の血脈を受け継いでいる。
玉木氏・杉氏・吉田氏一族参照〔玉木氏・杉氏・吉田氏一族(2)〕。
目次
1. 乃木氏一族(1)防長以前 『姓氏家系大辞典』、『新編姓氏家系辞書』
2. 乃木氏一族(2)防長乃木家 『姓氏家系大辞典』、『平成新修旧華族家系大成』
3. 木戸氏・来原氏一族(1) 『平成新修旧華族家系大成』、『三百藩家臣人名事典』、他。
4. 木戸氏・来原氏一族(2) 『門閥・旧華族階層の復権』、『財界家系譜大觀・第二版』、他。
5. 木戸(桂)氏・和田氏一族 『木戸孝允(中公新書)』、『近世防長諸家系図総覧』、他。
6. 来原氏・桂氏一族(来原良蔵系図) 『系図研究の基礎知識』、『明治維新人名辞典』、他。
7. 高杉氏一族(1) 『高杉晋作 その魅力と生き方』、『高杉晋作 物語と史蹟をたずねて』、『高杉晋作のすべて』、他。
8. 高杉氏一族(2) 『子孫が語る幕末維新人物100』、『高杉晋作 その魅力と生き方』、『高杉晋作のすべて』、他。
9. 高杉氏一族(3) 『人物叢書 高杉晋作』、『文春新書 高杉晋作』、他。 
10. 野村氏・入江氏一族(1) 『平成新修旧華族家系大成』、『三百藩家臣人名事典』、他。
11. 野村氏・入江氏一族(2) 『平成新修旧華族家系大成』、『華族譜要』、『系図研究の基礎知識』、『明治維新人名辞典』、他。
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乃木氏一族(1)
  
乃木氏一族(1)
  
萩毛利家の分家長府毛利家に仕えた医家の乃木家は、家伝によると宇多源氏佐々木一族庶流野木氏の末裔ということらしい。長府乃木家は、乃木九郎兵衛冬繼を事実上の家祖とする。この系譜からは、萩の松下村塾の創立者で、初代塾長の玉木文之進が継承した玉木家も分立している〔玉木氏・杉氏・吉田氏一族(1)〕。明治時代の軍人の乃木希典の弟は、玉木家の養子となるが、萩の乱で、実兄の乃木希典の政府軍と戦い敗れる。養父の玉木文之進は、養子や門弟が反乱軍に参加したため、自刃する。
(2015.1.17)
玉木氏・杉氏・吉田氏一族参照〔玉木氏・杉氏・吉田氏一族(1)〕。
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乃木氏一族(2)
  
乃木氏一族(2)
  
乃木希典は、明治8年12月、熊本鎮台歩兵第十四連隊長心得として小倉に赴任。明治10年の西南の役(西南戦争)に出陣。激戦の中、連隊旗を失うという失態を演じ、死地を求めて奮戦、負傷しながらも熊本城に入る。その直後、陸軍中佐に昇進、熊本鎮台参謀長に補任され、翌年、東京歩兵第一連隊長として東京に着任し、後、東京鎮台参謀長を経て、明治18年少将に昇進し、第一旅団長として熊本に赴任。翌年ドイツに留学し、明治21年帰国。一時軍籍を離れるが、日清戦争に第一旅団長として参戦。戦功により男爵に叙される(軍人華族)。日露戦争開戦時には、第三軍司令官として旅順要塞攻略戦を指揮し、戦後伯爵に叙される。日露戦争では、2人の息子が戦死した。明治40年に学習院院長に就任。明治天皇の崩御に殉じて、大正元年9月13日に妻と共に自刃・殉死する。前原一誠の乱に加わった玉木正誼は、実弟。実父の乃木希次(のぎ・まれつぐ)は、長府藩士。毛利元敏と元功の教育係を務めた。
(2015.1.19)
玉木氏・杉氏・吉田氏一族(1)もご覧下さい。
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木戸氏・来原氏一族(1)
  
木戸氏・来原氏一族(1)
  
桂小五郎は、和田昌景の子。桂孝古の名跡を継承する。妹は吉田松陰の友人の来原良蔵に嫁す。桂小五郎は、尊皇攘夷運動に加わり、その後、倒幕運動に転じる。長州は、禁門の変で、一時朝敵となり京を追われる。桂小五郎は、藩命令により木戸に姓を改める(木戸貫治・木戸準一郎・木戸孝允)。義弟の来原良蔵は、生麦事件で、攘夷で薩摩に先を越されたことに焦り、横浜の外国公使館襲撃を計画するが、世子の毛利定広(のちの毛利元徳)に説得され断念するが、その夜自刃する。息子は、後に木戸孝允の名跡を継承する。木戸孝正は、侯爵に叙される。東宮侍従長や宮中顧問官を歴任する。息子の幸一は、各大臣を歴任する。内大臣として、昭和天皇を補佐した。戦後、極東軍事裁判で戦犯となる。来原良蔵の従兄弟の長井雅楽(ながい・うた)は、吉田松陰東送の幕命を持ち帰り(これにより、吉田松陰は江戸に送られ、幕府に引き渡され処刑された)、松下村塾門下生に幕府との内通を疑われた。後に松陰の門人で義弟の久坂玄瑞らの弾劾運動により帰国謹慎を命じられ、文久3年2月6日、私邸にて自刃、甥の福原又四郎が介錯した。
(2015.1.25)
池田氏・山尾氏一族略系図も参照(閨閥に注目)。
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木戸氏・来原氏一族(2)
  
木戸氏・来原氏一族(2)
  
木戸氏一族の閨閥の延長線上には、複数の内閣総理大臣が登場する(阿部信行、寺内正毅、広田弘毅)。木戸家は、二代にわたり皇室を支える。木戸孝正は、東宮侍従長として皇室に仕え、息子の木戸幸一は、内大臣として昭和天皇を支え、極東軍事裁判では、A級戦犯として終身刑に処され(昭和23年)、10年後に赦免される。
(2015.1.31)
『門閥 旧華族の復権(立風書房)』では、幸彦とされる人物は、『平成新修旧華族家系大成』『華族譜要』では、孝彦と記す。『門閥』が幸彦と記すのは誤植か?
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木戸(桂)氏・和田氏一族
  
木戸(桂)氏・和田氏一族
  
ネットデーターなどによると、桂氏は、毛利氏庶流坂氏の流れを汲むという。ネットデーターでは、桂元親の系譜を記すが、『近世防長諸家系図総覧』では、元親の子孫は不記載と記す。
(2015.2.7)
木戸孝允館木戸・和田氏系図もご覧下さい。※ 木戸孝允館は、木戸孝允に関する情報が充実しています。
 
『門閥 旧華族の復権(立風書房)』では、幸彦とされる人物は、『平成新修旧華族家系大成』『華族譜要』では、孝彦と記す。『門閥』が幸彦と記すのは誤植か?
『木戸孝允館』は、木戸正次郎と記すが、『平成新修旧華族家系大成』『華族譜要』では、木戸正二郎と記す。
『木戸孝允館』は、木戸孝澄の兄弟に孝信を記すが、『平成新修旧華族家系大成』『華族譜要』では、記載なし
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来原氏・桂氏一族
来原氏・桂氏一族  
 
来原氏は、『系図研究の基礎知識』によれば、大内氏一族の庶流で、陶氏に近い流れで、盛種の代に毛利元就に仕えた。良蔵(来原盛功)は、その末裔と記すが、途中実名が略されている。数代が養子で、良蔵は、福原光茂の息子で、来原盛任の外孫に当たり、伯父盛郷の養子となる。 『姓氏家系大辞典』は、来原の項に長門に此の氏ありと記すのみで、系譜は記さず。『新撰大内氏系図』に弘貞までは記すが、盛有は記載されていない。又、同系図では、弘直には、来原姓の付記はない。右田氏の末裔ということである。
(2015.2.11)
『新撰大内氏系図』は、山口県のマツノ書店が昭和五十五年、650部限定復刻した『近世防長諸家系図総覧』に付録として掲載されている。
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高杉氏一族(1)
 
高杉氏一族(1)
 
高杉氏は、一説には安芸武田氏の一族とも伝えられるが、『群書系図部集』、や『系圖綜覧』などの武田氏系図では、高杉氏は確認できない。高杉氏は、男系が絶え、養子縁組で家系を繋ぐ。晋作の曾祖父は、坂氏の出身。祖父は長沼氏から高杉家を継承。晋作は後に谷姓を称し分家格となり、高杉家は、養子の春祺が婿入りして継承する。晋作の息子の東一は、高杉姓に復帰、高杉家は二流となる。
(2015.2.16)
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高杉氏一族(2)
  
高杉氏一族(2)
  
高杉晋作は、幕末、藩命により谷を称し、分家する。高杉家は、妹の光と婿の春祺が継承する。晋作の息子の東一は、明治20年改氏復姓し高杉氏に復帰する。以後高杉家は二流となる。歴史雑誌などでは、高杉家本家については、ほとんど触れられていない。歴史に「もしも」は禁句だが、もしも、晋作が明治維新まで存命なら、功臣として、子孫は爵位に叙されたかもしれない。晋作が生きていたら、どんな時代を目指したのであろうか?
(2015.2.25)
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高杉氏一族(3)
  
高杉氏一族(3)
  
高杉氏は、春生が早世し、男系が絶える。以後養子を迎え家系を繋ぐ。幕末高杉家は、晋作が谷姓に改め分家し、高杉本家は、妹に養子(春祺)を迎え継承するが、実子がなく養子(鹿之丞)を迎える。鹿之丞は、武藤家より高杉家を継承するが、高杉春樹の外孫である。
(2015.3.1)
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野村氏・入江氏一族(1)
  
野村氏・入江氏一族(1)
  
入江九一・野村和作(後の野村靖)兄弟は、吉田松陰の門弟。入江九一は、奇兵隊創立に参加する。禁門の変で負傷、自刃。弟の野村和作は、諸隊代表を務める。維新後、明治政府に出仕し、県令や大臣に就任。華族(子爵)に叙される。
(2015.3.7)
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野村氏・入江氏一族(2)
  
  
野村兄弟は、兄の九一が入江姓を継承し、弟の和作(後の野村靖)が野村家を継承する。維新後、明治政府に出仕した野村靖は、県令や大臣に任ぜられ、華族制度導入後子爵に叙された
(2015.3.15)
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