扶桑家系研究所 リポート11 
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扶桑家系研究所 リポート11
 
播州別所氏一族の系譜
異聞歴史館では、皇位継承問題と武家の系譜を二大テーマとし、武家の系譜としては、戦国大名三英傑から研究をスタートし、今日の話題社から『織豊興亡史』を刊行し、織田・豊臣・徳川の系譜を紹介した。異聞歴史館のリポートでも、リポートの1として豊臣氏一族の系譜を紹介した。この時代は大変ドラマチックであり、日本放送協会の大河ドラマにもしばしば登場する。戦国時代、播州は赤松家が没落すると、赤松の庶流を含む小豪族が勢力を争った。東播磨を拠点に台頭したのが、赤松家庶流の別所氏である。この別所氏が歴史に名を留めるのは、天下統一に邁進する織田政権及び後にその後継者となる、当時は織田家中国方面軍団長の羽柴秀吉と対峙したからである。三木の干殺しと云われる凄惨な戦いで当主長治以下一族は自刃し、戦国大名別所氏は滅亡した。当初は織田家に誼を通じていたが、後に一族の重棟(重宗)を除き自刃、討ち死に、或いは家臣に斬殺された。長治の叔父吉親(賀相)の愚かな行為と、その後の一族の軍議から重棟を排除したことが別所家滅亡の原因の一つとなる。三木合戦により戦国別所氏は一旦滅亡するが、逼塞していた重棟が秀吉に取り立てられ但馬で一万五千石の大名になり戦国大名別所氏が復活する。その後徳川政権でも一時は二万石となるが、後継者の愚考で改易処分となり大名別所家は消滅する。一族は幕臣として数流が存続し『寛政重修諸家譜』にも掲載されているが、再び大名に復することはなかった。長治が吉親ではなく重棟の意見に従い秀吉幕下に入り中国遠征(毛利攻め)に従軍したら、豊臣政権下でも数万石の大名となったかも知れない。同じ播磨の小寺官兵衛(黒田孝高)が、主家を離れて秀吉幕下となり、姫路城を献上して秀吉の信頼を得て大名となったが、別所長治も叔父重棟の協力を得て秀吉に味方していれば同じように出世したかもしれない。早くから秀吉とのパイプを造った重棟と、秀吉の出自を軽視し侮った吉親、戦国時代に妙な名門意識など何の役にも立たないのに吉親を選び、重棟の努力を無駄にした長治の選択と決断が三木の悲劇を生んだのである。その点は、蛍大名と馬鹿にされながらも生き抜いた京極高次とは対照的である。
(2009.1.29)
1. 別所氏略系図(1) (ネットデーターと『系図纂要』)
2. 別所氏略系図(2) (ネットデーターと各種歴史雑誌掲載系図)
3. 別所氏諸系図 (歴史雑誌と基本系図集)
4. 別所氏諸系図(2) (『群書系図部集』掲載「赤松系図」) 
5. 別所氏諸系図(3) (『群書系図部集』掲載「有馬系図」、「石野系図」) 
6. 別所氏諸系図(4) (『系圖綜覧』掲載「岡本系圖」、『姓氏家系大辞典』)
7. 別所氏諸系図(5) (『姓氏家系大辞典』、『日本系譜綜覧』、『新訂寛政重修諸家譜・第八』)
8. 別所氏諸系図(6) (『姓氏家系大辞典』、『系圖綜覧』、『新訂寛政重修諸家譜・第八』、他)
9. 別所氏諸系図(7) (『別所歴代略系譜』、『諸系譜』、他)
10. 別所氏諸系図(8) (『諸系譜』)
11. 別所氏諸系図(9)(『諸系譜』、『新訂寛政重修諸家譜』、『系図纂要』、他)
12. 別所氏諸系図(10)(『諸系譜』、『系図纂要』、他)
13. 別所氏諸系図(11)(『別所一族』、『村上源氏赤松家とその一族』、他)
14.
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『別所氏略系図(1)』
 
別所氏略系図(1)
 
ネットデーターと『系図纂要』は整合せず。双方に元系図に対して欠落があるか? 別所持則は、赤松則祐の子とするが、赤松系図の持則に別所の家号記載されず。子供についても食い違い有り。利神城主別所氏は、『系図纂要』の「別所系図」には記載されていない。ネットデーターの「別所系図」では、前期別所氏と後期別所氏は養子縁組で系図が繋がるが、『系図纂要』では、両方の別所氏は繋がらず。
(2009.1.30)
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別所氏略系図(2)』 
 
別所氏略系図(2)
 
別所氏は、歴史雑誌などでも略系図が紹介されているが、一様ではない。それだけ系図が混乱しているということであろう。前期別所氏と後期別所氏を繋いだ系譜には疑問な点がある。基本系図文献では、両別所氏が繋がらないものが多い(『系図纂要』、『群書系図部集』の各種赤松・別所系図など)。
(2009.1.31)
 
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別所氏諸系図』
 
別所氏諸系図
 
『尊卑分脈』には別所氏は記載なし。『系図纂要』には、山田・宇野氏分家と赤松家分家に別所氏が登場するが、両方の別所氏は、基本系図では、縁組みなどの繋がりは確認出来ず。又、『系図纂要』の別所系図は、途中何カ所か欠落している可能性が高い。雑誌で紹介の別所氏系図とは歴代に食い違いがある。三木別所氏が台頭するまでは一族間でも家督争いがあったのであろうか、系図は混乱し不明な点もある。赤松家が嘉吉の変で没落してからは、山名氏の侵攻があったり、一族間で対立があったりして混乱している。別所氏が台頭するのは、則治が東播磨を掌握してから、或いは三木城築城後である。しかし、家督は親子継承だけでなく傍系相続もあったのであろう。故に各種系図も、血統系図もあれば家督系図もあり、更には欠落系図もあり混乱の要因となったと考えられる。
(2009.2.1)
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『別所氏諸系図(2)』
 
別所氏諸系図(2)
 
別所氏は、『群書系図部集』の各種「赤松系図」では、別所敦光しか記載せず。父の五郎から別所を称したとの説もあるが、赤松系図は敦光のみで子孫は記さず。同書は別所頼清・義頼は記載せず。
(2009.2.11) 
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『別所氏諸系図(3)』
 
別所氏諸系図(3)
 
『群書系図部集』の各種赤松系図では、別所敦光までしか記載なし。同書の「石野氏系図」では、別所氏は、戦国大名別所長治まで記すが、途中が欠落している可能性有り(後述)。『寛政重修諸家譜』や『播州歴史散歩』掲載の別所氏系図、国立国会図書館.蔵の『諸系譜』等と食い違う。「群書」からは、前期別所氏と後期別所氏の姻戚関係、連続性は証明されず。又、『群書系図部集』掲載の各赤松系図からは、赤松氏の系譜混乱が読みとれる。ここから村上源氏末裔説は、後世の仮冒・系図改竄の可能性を示唆しているとも受け取れる。
(2009.2.15) 
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『別所氏諸系図(4)』
 
別所氏諸系図(4)
 
別所氏は基本系図では子孫系図が判然としない。『姓氏家系大辞典』の系図には一部欠落がある可能性が高い。『系図纂要』、『姓氏家系大辞典』、『新訂寛政重修諸家譜』、『群書系図部集』など一致せず。
(2009.10.4)
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別所氏諸系図(5)
 
別所氏諸系図(5)
 
戦国大名別所氏は、播磨別所氏一族傍系から発展した可能性が高い。傍系相続の可能性があり、各種系図は混乱している。
(2009.10.10)
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別所氏諸系図(6)
 
別所氏諸系図(6)
 
『諸系譜』と基本系図(『群書系図部集』、『姓氏家系大辞典』、『寛政重修諸家系譜』)では食い違いがある。基本系図は一部欠落か?
(2009.10.19)
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別所氏諸系図(7)
 
別所氏諸系図(7)
 
森脇説は、『諸系譜』や基本系図(『尊卑分脈』、『系図纂要』、『群書系図部集』など)と整合せず。別所頼清から敦光の間は、他の系譜で確認できない(架空の人物を挿入か?)。又、各種赤松系図で、赤松則祐の息子の持則が別所氏の養子になったということは確認できない(『群書系図部集』の各種赤松系図)。森脇隆公の説は疑問あり。
(2009.10.26)
 
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別所氏諸系図(8)
 
別所氏諸系図(8)
 
各種系図の別所氏系図は混乱しているし欠落がある(『系図纂要』、『群書系図部集』、『寛政重修諸家譜』など整合せず)。国立国会図書館所蔵の『諸系譜』掲載の別所氏系図は、各種系図の欠落を埋めれる可能性がある。この系図からは、戦国大名となった別所氏は、別所氏傍系で、事実上東播磨の守護代的地位に就いた別所則治の一族と読みとれる。三木城主別所光治の後は傍系の就治が継承し、その末の別所長治が織田方の羽柴秀吉と戦い戦国大名別所氏本流は滅亡した。傍系重棟は秀吉に誼を通じ秀吉幕下の大名として別所家を再興するが次の宗治の代に改易された。一族の一部は幕臣として存続した。
(2009.11.8)
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別所氏諸系図(9)
 
別所氏諸系図(9)
 
別所氏の各種基本系図、雑誌掲載系図は一致せず。これは欠落や接合改竄の可能性があるからである。『諸系譜』の別所系図と比較するとその違いが明らかになる。戦国大名別所氏は、別所一族の傍系末裔であり、『系図纂要』や『寛政重修諸家譜』には欠落や改竄がある可能性が高い。系図の混乱は別所氏本流が早くに没落したことの影響であろうか?
(2009.11.17)
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別所氏諸系図(10)
 
別所氏諸系図(10)
 
別所氏の系図は複数あるが一致しない。ここでは『諸系譜』と『系図纂要』及び『群書系図部集』の石野系図を比較してみた。『系図纂要』及び『群書系図部集』の石野系図には、欠落や接合ミスがあることが確認できる。又、戦国大名別所長治は、東播磨郡総領の別所則治の末裔という事も明らかとなる。
(2009.11.29)
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別所氏諸系図(11)
 
別所氏諸系図(11)
 
 別所氏系図(7)もご覧下さい。★ レファレンス協力:日本歴史研究所
 
宇野系別所氏と赤松系別所氏を無理に結びつけると色々矛盾が生じる。清光から範光は、『尊卑分脈』、『系図纂要』、『群書系図部集』、『寛政重修諸家譜』などの主要系譜集では確認できず疑問。又、範光の女婿についても混乱している。又、赤松系別所氏も直系相続でなく傍系からも相続しており、家督に混乱有り。このあたりについては、日本歴史研究所でも追跡されておられるので、そちらも併せてご覧下さい。
(2009.12.13)
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