日本家系図学会と早瀬晴夫
和暦(西暦)    備 考
昭和49年(1974) 3月、早瀬晴夫、愛知県立尾北高等学校卒業。
昭和50年(1975) 7月、名誉会長・賀陽邦壽氏(元賀陽宮)、会長・江藤彦武氏、編集・発行人:藤原将人氏という体制で日本家系図学会が設立された(第一次日本家系図学会)。
昭和51年(1976) 9月、「家系図ニュース」第1号が発行される。
昭和52年(1977) 12月、「家系図ニュース」第16号より「姓氏と家紋」に改題となる。
昭和54年(1979) 11月15日、「姓氏と家紋」第34号で第一次日本家系図学会の閉鎖が宣言告知される。尚、「姓氏と家紋編集室」が、会員楡井範正氏に引き継ぎ委嘱される。
(「姓氏と家紋」復刻版より)
昭和**年(19**) 丹羽基二氏・楡井範正氏らにより、日本家系図学会が復活(第二次日本家系図学会=現在の「日本家系図学会」。平成20年9月まで存続)
昭和**年(19**) 「姓氏と家紋」第35号刊行。(この時点では、早瀬は未加入の為、詳細は把握していない)
昭和**年(19**) 「姓氏と家紋」第36号刊行。
昭和58年(1983) 6月、「姓氏と家紋」第37号刊行。(昭和60年入手)
昭和59年(1984) 6月、「姓氏と家紋」第38号が近藤出版社より刊行される。同号を勤務する書店で見つけ購入。日本家系図学会の存在を知る。9月に第39号、12月に第40号を購入する。
昭和60年(1985) 3月、「姓氏と家紋」第41号を購入する。6月、第42号を購入する。同年、楡井事務局長に第35号、第36号、第37号のバックナンバー在庫の有無を問い合わせる。同年楡井事務局長の勧誘により日本家系図学会に入会(素人でも系図に関心が有れば入会OKということでしたので)、9月1日付けで会員証を発行される(会員番号61105)。
平成  6年(1994) 「旅とルーツ」(「旅とルーツ」改題)にミニルポ(熱田神宮・名古屋城・曼陀羅寺に関するルポ)を寄稿。
平成 8年(1996) 『南朝興亡史』を近代文芸社より出版。
平成 9年(1997) 11月、丹羽基二会長より、日本家系図学会理事兼扶桑支部長を委嘱される。
平成10年(1998) 11月、「旅とルーツ第76号」に『前野長康一族と前野氏系図(1)』を執筆掲載。
平成11年(1999) 4月、「旅とルーツ第77号」に『前野長康一族と前野氏系図(2)』を執筆掲載。
11月、「旅とルーツ第78号」に『前野長康一族と前野氏系図(3)』を執筆掲載。
★ 著書と家系図学会以外の研究等の詳細は、著作・著述一覧を参照下さい。
平成13年(2001) 7月、『織豊興亡史』を今日の話題社より出版。
平成15年(2003) 5月、『消された皇統』を今日の話題社より出版。10月、『肥前の龍と遠山桜』を新風舎より出版。
平成17年(2005) 9月、日本家系図学会扶桑支部内に扶桑家系研究所を設立(会員三名で創設)。12月、扶桑家系研究所ホームページ「異聞歴史館」を開設。
平成18年(2006) 6月、『豊臣氏存続・豊臣家定とその一族』を今日の話題社より出版。8月、丹羽基二日本家系図学会会長没。武田光弘副会長が幹部協議により後継会長に選任。
平成19年(2007) 9月、武田光弘会長が新年度会費徴収後、幹部役員の金本勝三郎氏・楡井範正氏の体調不良(入院など)を理由に、会誌の発行停止、総会・研究発表会中止を宣言、会員各位に意見を求める。会誌の発行停止は、地方の会員には、本部との繋がりを断つことになる。扶桑支部は、10月に意見書を提出した(回答なし)。
平成20年(2008) 9月初め、武田会長より、具体的実行案などの提出が皆無との理由(これはその後、他の会員有志との情報交換で、提案が皆無でないことを確認した)に、9月末日で日本家系図学会の閉鎖・解散に決したとの告知を受け取る(この決定は、幹部役員会、常任理事会、理事会いずれにも図られず決し、現役の常任理事が何の相談も武田会長から受けていないことが判明した)。東京会員で、古代氏族研究会会長の宝賀寿男氏より、この決定には疑義があり納得出来ない旨のメールを受け取る。既に解散宣言され、解散消滅と受け止めている会員もいることから、再建の方法がないかという話になり、現存の常任理事や有志会員、芳文館代表らと意見交換し、可能なら再建したいという話になり、宝賀氏に当面の段取りを一任、関係各位と協議され、芳文館を事務局とし、宝賀氏が事実上の代表幹事として有志会員などと連絡を取り合い、発起人集めをすることとなり、二十数名が宝賀氏の呼びかけに呼応した。日本家系図学会は、解散宣言が、正規の手続きを経ていないということで、有志会員の連合体とした存続することとなった。本会は、東京で宝賀氏を中心に規約の見直しや、発起人会発足の準備が進められており、現在の家系図学会に於いて、『旅とルーツ』の最終号を刊行し、現在の会員には継続入会を呼びかけ、新しい人へも入会を勧誘する方法を検討することとなった(年内に具体化すべく、宝賀氏を中心に在京有志で検討中)。発起人会が正式に発足し、具体的な形にまとまった段階で、正式に新生「日本家系図学会」の設立を宣言、新年度から、新生「日本家系図学会(第三次日本家系図学会)」に移行する。事務局長は芳文館の岸代表。会長は現在の流れであれば、古代氏族研究会会長の宝賀寿男氏が就任することになろう。移行に関しては、現会長の武田氏も協力を約束しているとの旨の連絡を宝賀氏からもらっている。具体的なことは年内に代表幹事や有志会員(発起人)でネットを介して協議し、在京会員を中心に準備することになろう。既に会員名簿は宝賀代表が引き継いでおり、新たな日本家系図学会設立に向けての動きはスタートしている。
(2008.11.7)
追記
ネットに日本家系図学会会長と表記される人物がいるが、武田会長が現在唯一の会長(現行の家系図学会は、まだ正式には常任理事会・理事会・総会の承認を経ていないので存続している。現在の有志のグループも、武田氏を解任はしていない)であり、新生「日本家系図学会」発足(現在の家系図学会が正式に解散、移行する)までは、武田氏以外に会長は存在しないし、武田氏以外の人物を会長とは認めていない。新生「日本家系図学会」発足後は、会長職は武田氏から新会長に引き継がれる。ネットで家系図学会会長と紹介されている人物は、日本家系図学会の会員であったことは確認されているが、現行の家系図学会でも、新生の家系図学会でも会長にはなり得ない(現時点で再建有志会員のグループへの参加は確認されない)。

日本家系図学会理事・扶桑支部長、新生「日本家系図学会」設立発起人:早瀬晴夫
発起人(敬称略)
宝賀案より抜粋
代表:宝賀寿男(古代氏族研究会会長)、岸芳男(芳文館代表・日本家系図学会常任理事)、遅沢俊郎(日本家系図学会常任理事)、武田光弘(日本家系図学会会長)、早瀬晴夫(日本家系図学会理事・扶桑支部長、扶桑家系研究所所長)、安原繁俊、岩城大介、斎藤秀幸、他。現時点で二十数名が宝賀代表の呼びかけに呼応、発起人を内諾。
(2008.11.7)
12月29日、第二次日本家系図学会、『旅とルーツ』最終号(88号)刊行。12月31日、第二次日本家系図学会発展的解散(第三次日本家系図学会発起人会に引き継ぎ)。早瀬晴夫、日本家系図学会理事・扶桑支部長退任(消滅により自然退任)。第三次家系図学会への継続参加(入会)を新事務局に表明(アンケート返送)。
平成21年(2009) 1月、新生「日本家系図学会(第三次日本家系図学会)」、発起人会により暫定発足(暫定代表:宝賀寿男、事務局長:岸芳男)