皇位継承(パート4)
トップ皇位継承>皇室系図
館内案内
皇室系図(皇位継承及び一族概略系図)
 
   我が国の皇統は、系譜上は一つの皇統で連綿と現代に及んでいる(史実としては疑問な部分があるが系譜の上では万世一系)。傍系から皇統を継承する場合は、入り婿継承(中世以降は、養子・猶子継承)の形が取られている。継体天皇の継承も、前の皇統への入り婿という形で継承を正当化している。
 
皇室系図1. 神武天皇〜成務天皇及び一族概略系図
皇室系図2. 垂仁天皇〜允恭天皇及び一族概略系図(継体天皇のルーツ)
皇室系図3. 仲哀天皇〜天智天皇及び一族概略系図(仁徳・継体王朝)
皇室系図4. 継体天皇〜光仁天皇及び一族概略系図(欽明系・非欽明系、敏達系・非敏達系)
皇室系図5. 宣化天皇〜仁明天皇及び一族概略系図(敏達系・非敏達系、天智系・天武系)
皇室系図6. 舒明天皇〜宇多天皇及び一族概略系図(天智女系流天武王朝と復活天智王朝)
皇室系図7. 淳仁天皇〜村上天皇及び一族概略系図(桓武王朝)
皇室系図8. 仁明天皇〜白河天皇及び一族概略系図
皇室系図9. 光孝天皇〜安徳天皇及び一族概略系図
皇室系図10. 三條天皇〜後二條天皇及び一族概略系図(院政開始から皇統分裂へ)
皇室系図11. 後白河天皇〜後小松天皇及び一族概略系図(皇統分裂・南北朝概略)
皇室系図12. 後深草天皇〜後土御門天皇及び一族概略系図(大覚寺統と南朝)
皇室系図13. 後深草天皇〜後柏原天皇及び一族概略系図(持明院統と北朝)
皇室系図14. 北主第三代崇光院〜中御門天皇及び一族概略系図
皇室系図15. 後陽成天皇〜光格天皇及び一族概略系図
皇室系図16. 霊元天皇〜大正天皇及び一族概略系図
皇室系図17. 光格天皇〜今上天皇及び一族概略系図
男子誕生 秋篠宮妃紀子様、平成18年9月6日男子ご出産。
 
※ 当ページ掲載系図の複製・転用を禁ず(企画・構成・著作権は扶桑家系研究所に帰属)。
 
皇室系図1. 神武天皇〜成務天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・神武〜成務天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図2.垂仁天皇〜允恭天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・垂仁〜允恭天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図3.仲哀天皇〜天智天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・仲哀天皇〜天智天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図4.継体天皇〜光仁天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・継体天皇〜光仁天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図5.宣化天皇〜仁明天皇及び一族概略系図
 
   持統天皇は、天武王朝に於いて、天智女系(持統系統)による皇位独占を狙うが、孝謙天皇(称徳天皇)の野心により潰える。天武王朝は称徳天皇で断絶、天智王朝が復活する(光仁天皇)。
 
皇室系図・宣化天皇〜仁明天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図6.舒明天皇〜宇多天皇及び一族概略系図
 
   飛鳥・奈良時代の皇室系図(4・5・6)はかなり重複したが、女帝の時代の裏事情が読み取れるので、批判を承知で掲載した。欽明系統と尾張(宣化・安閑)系統、敏達系統と非敏達系統、これに蘇我系統と非蘇我系統が絡んで謎めいた系譜を形成している。寶皇女(皇極・斉明)の即位は、古人大兄の継承権を奪い、皇極系統の皇位継承への道を開く。この流れの中で、蘇我氏本家は滅亡する事になる。次に登場する天智と天武の関係は、何か別の皇統が、妥協するために複数の姻族関係を結んだ様に映る。天智と天武は本当に実の兄弟なのか、何か真実を隠すために系図を改竄したのではないか?そんな疑念も抱かせる。もしかすると壬申の乱は、別の意味が隠されているのではないか・・・。それ以前に、蘇我氏滅亡にも大いなる謎がある。ひょっとしたら蘇我氏本家は、対立王家ではないのか?蝦夷とか入鹿とか、何か本来の名前を抹殺して蔑称を被せた可能性も・・・・。天智女系による女帝の時代とは、天武男系への皇位継承を阻止する謀略ではなかったか。そうなると天武天皇の正体も気になるところである。とりあえず通史に従うが、在野の研究者の中には、この時代の皇室系図に疑問を持ち、異説を展開されている方がいる事を付記しておく。
 
皇室系図・舒明天皇〜宇多天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップへ移動
皇室系図7.淳仁天皇〜村上天皇及び一族概略系図
 
   宇多天皇と醍醐天皇(宇多天皇が臣籍降下、源定省時代に誕生)親子は、臣籍から皇籍に復帰して皇位を継承した。これは、時の朝廷の権力者藤原基経の意向による。これに先立ち、陽成天皇の後継選定では、嵯峨天皇の皇子で臣籍降下していた左大臣の源融(みなもと・とおる)が、皇位を伺うが、藤原基経(太政大臣)は、臣籍降下を理由にこれを排除した。当時の皇位継承には、外戚や時の権力者の意向が大きく影響した。
 
皇室系図・淳仁天皇〜村上天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップへ移動
皇室系図8.仁明天皇〜白河天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・仁明天皇〜白河天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
このページのトップに移動 
皇室系図9.光孝天皇〜安徳天皇及び一族概略系図
 
 
皇室系図・光孝天皇〜安徳天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図10.三條天皇〜後二條天皇及び一族概略系図
 
   藤原摂関家と直接外戚関係にない後三條天皇(母方の祖父は、三條天皇)の登場は、摂関政治から院政への転換点となる。源平両氏が力を蓄え、保元の乱、平治の乱を経て、平家が武力を背景に朝廷に介入する(平清盛を中心とする平家政権)。源氏勢力は、一時壊滅的打撃を受けるが、以仁王と源頼政の挙兵を契機に各地の源氏は、反平家勢力を取り込みながら反撃を開始する。その後、壇ノ浦の合戦で平家は滅亡する。この時代に暗躍した後白河法皇は、源頼朝に日本一の大天狗と呼ばれた。後白河法皇は、安徳天皇が平家に擁立され西国へ赴くと、木曽義仲の主張を退け、北陸宮ではなく後鳥羽天皇を擁立する。後鳥羽天皇は、当初神器無き半帝(対立天皇)として登極、壇ノ浦の源氏の勝利による神器回収により(神剣のみ海底に沈んで回収不能となり、新たな剣を用いる)正統天皇となる。後に鎌倉幕府に不満な後鳥羽上皇は、北條氏打倒を謀る(承久の変・承久の乱.1221.5)が幕府軍に敗北した。鎌倉幕府は、仲恭天皇を廃し、後鳥羽上皇ら三上皇を遠流(島流)とする。幕府は守貞親王の系統を擁立するも断絶、その後の皇位継承では、順コ天皇の系統(岩倉宮)を排除、後嵯峨天皇を擁立する。後嵯峨天皇の登場は、皇統大分裂の遠因となる。南北朝対立のルーツはここにある。
※ 仲恭天皇は、在位70日余りで廃位されたので、歴代とせず半帝(仮天皇)とする系図あり。 
    現在の歴代が確定する過程で、正式に歴代に加えられた。
皇室系図・三條天皇〜後二條天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図11.後白河天皇〜後小松天皇及び一族概略系図
 
   岩倉宮が皇位継承から排斥され、後嵯峨天皇が即位した事により、皇位継承は、幕府の威光により左右される事となる。後嵯峨天皇は、恒仁親王(亀山天皇)を溺愛していたので、後深草天皇の後継は、後深草天皇の皇子ではなく、実弟の亀山天皇となった。その皇太子には、亀山天皇の皇子が指名され、後深草上皇は不満を抱き、皇統に亀裂が入る。両方の皇統は、持明院統(後深草系統)と大覚寺統(亀山系統)は、対立し以後は、それぞれが幕府に皇位継承を働きかけ、幕府の裁定により、両統迭立が大原則となり、結果、討幕運動とも絡んで「南北朝」の大分裂の時代へ突入するのである。
 
皇室系図・後白河天皇〜後小松天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図12.後深草天皇〜後土御門天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・後深草天皇後土御門天皇系図 
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
※ 『南朝・後南朝』は、リポート2で紹介する。
 このページのトップに移動
皇室系図13.後深草天皇〜後柏原天皇及び一族概略系図
 
   北朝系の系譜では、南朝の歴代は、後醍醐天皇しか認めず、歴代の数え方が、現在の皇統系譜とは異なる。後小松天皇の時、足利義満の工作により神器奪取に成功(形式上は、後亀山院より譲渡)、後小松天皇が統一天皇となる。その後、皇位は、旧南朝には譲らず北朝系統が独占する。称光天皇で皇位が断絶すると、伏見宮家の彦仁王を後小松天皇の猶子、称光天皇の弟という扱いで皇位を継承させた(後花園天皇)。旧南朝は、嘉吉三年に御所に乱入して神器を奪い、一時的に南朝を再興するが、通史は、単に神器紛失事件としてこれを封殺する。長禄年間に後南朝皇胤を殺傷して神器奪還に成功。その後、応仁の乱の時にも旧南朝(後南朝)が暗躍、西軍と提携して「西陣南帝」を擁立するが、その後の動向は定かでない。北朝は名実共に正統皇統となるが、時代は戦国時代に突入し、その権威は低下する。豊臣政権誕生までの皇室・皇統は冬の時代を迎える事となる。
 
皇室系図・後深草天皇〜後柏原天皇系図 
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図14.北主第三代崇光院〜中御門天皇及び一族概略系図
 
   皇室は、南北朝合一後は、北朝系統により継承されるが、南北朝の混乱の時、本来の嫡流は皇位を失い伏見宮家となる。その後、後光嚴系が絶えると、伏見宮家の彦仁王が後小松上皇の猶子となり、称光天皇の義弟として皇位を継承した(後花園天皇)。現在の皇室は、後花園天皇の末裔という事になる。
応仁の乱を経て戦国時代に突入すると、皇室の権威と経済力は低下する。やがて、織田信長が天下統一に動き出すと、皇室も徐々に権威を回復する(信長は窮地に追い込まれると天皇の権威により和議を図り、体勢を立て直して敵を倒した)。信長の後、織田政権の事実上の後継者となった秀吉は、その権威により、織田家当主や重臣の官位を上回り、藤原氏の猶子となる事に成功し、関白の地位も簒奪する。秀吉は、皇室と友好関係を保ち、八條宮を猶子とし、経済的な支援を行った。豊臣政権と連携する事で、皇室は権威を回復し、経済的にも安定する。秀吉が没し、関ヶ原で西軍が敗れると、徳川家康が実権を掌握し武家の棟梁となる。家康は、征夷大将軍に就任し幕府を開くと、徐々に朝廷と距離を取り、大坂の陣で豊臣家を滅亡に追い込むと、「禁中並び公家諸法度」などにより朝廷を締め付け、伝統文化の世界に追い込み、僅かな権威を残して政治権力からは完全に切り離した。智仁親王は、豊臣政権崩壊後も、高台院と交流を続けていた。当時の皇室は、豊臣贔屓という感じで、秀頼の九州亡命伝説では、後水尾天皇が、島津家に密勅を発し、秀頼を匿うよう依頼したというような話が登場する。あくまで伝説だが、徳川との関係が良好・友好的でなかった事の表れでもある。幕府と対立した後水尾天皇は、強引に明正天皇に譲位する。
 
皇室系図.北主第三代崇光院〜中御門天皇
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 
このページのトップに移動
皇室系図15.後陽成天皇から光格天皇及び一族概略系図 
 
皇室系図・後陽成天皇〜光格天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図16.霊元天皇〜大正天皇及び一族概略系図
 
   後桃園天皇の後、後継男子を欠いた皇室は、閑院宮家(四親王家の一つ)より兼仁王を迎えて皇位を継承させる(光格天皇)。この末裔が現在の皇室一家である。皇室直系に男系男子なきときは、傍系皇統を後継として継承の糸を紡いできた。これが我が国の皇統系譜である。
皇室系図・霊元天皇〜大正天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 このページのトップに移動
皇室系図17.光格天皇〜今上天皇及び一族概略系図
 
皇室系図・光格天皇から今上天皇系図
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
   平成17年(2005)、小泉首相により、皇室典範改正問題に関する有識者会議が組織され、筋書き通り『女帝及び女系容認』が決定され、尚かつ、長子優先を打ち出した。この狙いは、秋篠宮以下の男子皇族の皇位継承権を事実上奪い、愛子内親王を将来の天皇とし(女性天皇の復活)、其の後は、「愛子天皇」の子孫に皇位を継承させる(史上初の女系天皇)事にある。更には隠された意図としては、皇室のカリスマ性を低下させ、将来の皇室廃止も視野に入れたものであった(皇位継承・女帝と女系参照)。小泉首相が、内心皇室に畏敬の念を持たないことは、新嘗祭などにおける首相の言動を、各週刊誌が記事として掲載した事で明らかとなった。それが、密かに進められていた反皇室派の政府や宮内庁関係者の動きとも連動している事は、産経新聞などが暴露、インターネットのニュースでも掲載された。これらの動きに対して、昨年、髭の宮様こと三笠宮寛仁親王が、自身の関係する団体の会誌で私見を述べられ、それが新聞報道されると一騒動となった。某マスコミは、有識者会議に荷担して宮様の言動を押さえ込もうとして、宮様の行動を批判した。これに対しては、他のマスコミ(週刊誌も含む)が逆批判している。女帝・女系推進派には、宮様は目障りな存在という事であろう。あげく、天皇も女系を容認しているが如き発言が女系天皇容認推進派周辺から漏れてきたが、天皇が容認の発言をした事実は確認されず、女帝・女系反対派を押さえる為に皇室も利用しようとした事も明らかになりつつある。その後、旧皇族竹田宮家の末裔の竹田恒泰氏が、『語られなかった皇族たちの真実(小学館)』を刊行し、女系天皇容認による皇室危機を訴えている。ただ同書の系図の一部には誤りがあるので読み手も注意が必要(P.41の南北朝系図の北朝部分、後光厳天皇の続柄)。女系容認派は、これらの動きを無視し、法制化を急ごうとした。ここで思わぬアクシデント(女系天皇容認推進派にとって)。平成18年(2006)の通常国会の会期中に、小泉首相ら推進派は、国会上程、党議拘束を掛けての強行採決も検討していたが、二月に入ると、秋篠宮妃紀子様の懐妊が明らかとなった。小泉首相にとっては寝耳に水、茫然自失の状況で、その姿は、ばっちりテレビ中継されたので見られた方もいるだろう。これはある意味皇室のしっぺ返しではないか。九月退任を表明している首相にとっては、ここで「皇室典範改正問題」が一時水入りとなれば、在任中の改正は不可能という事になる。時期的には、有識種会議が結論を出した直後から、新たな皇族誕生に向けて皇室が準備を開始した事になろう。結果は、結論の先送り。誕生まで見守るという事で、今国会への提出は断念された。この事は、東宮家にも思わぬ効果をもたらす。愛子様への継承権の付帯は見送り、もし男子が誕生すれば、愛子様の即位は回避できる可能性もある。雅子様は、愛子様が黒田清子さん(元内親王)のように普通の家庭を築ずかれる事を望んでおられると推察される。皇位継承問題から解放されれば、ストレスも多少軽減されるし、東宮家も第二子誕生に向けて動き出される可能性も考えられる。我々国民は、小泉内閣とその後継内閣の動き及び、皇室の動向に注意を払い、事態の推移を見守らなければならない。皇室制度を認める限り、無関心であってはならない。
(2006.5.14)
  このページのトップに移動
平成18年(2006)9月6日午前8時27分、秋篠宮家に男子誕生。
 
   秋篠宮妃紀子様が、男子を出産(天皇陛下には初の皇孫男子)、皇室にとっては、41年ぶりの皇位継承権者(親王)の誕生となった。特段のトラブルがなければ、40年ぐらい先までの継承権者が確保されたという事になる。しかし、それだけでは、皇位継承の安定という課題が解決されたわけではないので、「皇室典範の改正」は必要であろうが、昨年の有識者会議の「長子相続・女系天皇容認」という問題に関しては、白紙に戻して再検討すべきであろう。女帝については、多くの国民が支持しているので、内親王への継承権付託については検討されなければならない。順位については、日本の歴史、皇位継承の歴史や伝統を考えればならないが、原則男子優先が望ましいのではなかろうか。今回のことで、慎重に検討する時間を頂戴したわけであるから、国会で保身のために先送りするのではなく、数年間かけて、問題点の解析・検討をされた上で、妥当な改正案の作成・決議を期待するものである。この問題については、次期内閣の対応を見守りたい。
(2006.9.6) 
   命名の儀。新宮は、悠仁(ひさひと)親王と命名。
(2006.9.12)
9月21日、悠仁親王、宮内庁長官らにより「皇統譜」に登録される。
(2006.9.22)
このページのトップに移動
皇位継承へ戻る
 
※ 掲載系図の複製・転用を禁ず。
 
Copyright (C) kakeiken. All Rights Reserved.