扶桑家系研究所所長、早瀬晴夫とは
早瀬晴夫とは

 

     

       
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早瀬晴夫の顔
早瀬晴夫は非常な恥ずかしがり屋のため、この写真しか現在の所発表できません
(萬小葉 : 小林 晁 : 写真のことなら萬小葉にお任せ)
早瀬晴夫とは何者・・・
[著者履歴・プロフィール] (所長の早瀬晴夫とは何者?)(家系研究家)
昭和30年(1955)5月2日 愛知県生まれ。 愛知県立尾北高等学校卒業後、 会社勤めの傍ら系図資料・書籍・雑誌を収集し、 独学で比較研究を行う。 病気療養の為退職後、集めた資料をベースに研究を継続。平成17年(2005)12月23日、異聞歴史館(扶桑家系研究所HP)を開設、館長に就任(扶桑家系研究所、会員のページ参照)。この間、千田和英氏らと共に、研究会としての「扶桑家系研究所」を設立。
日本家系図学会(第三次) 発起人(25人の1人) No.61105(第三次日本家系図学会・常務理事)(旧会扶桑支部長)
歴史研究会(全国歴史研究会) 愛知県会員 No.13042-23-10
合資会社 歴研(総合出版社) 有限責任社員 No.48
扶桑家系研究所(異聞歴史館) 所長(館長) No.001(研究会としての「扶桑家系研究所」代表)
 (2009.1.1.現在) ★ 2008.12.31.第二次日本家系図学会消滅。第三次日本家系図学会発足。
論文 「前野長康一族と前野氏系図」 (「旅とルーツ<76〜78号>」 日本家系図学会/芳文館出版)、 「前野長康と坪内・前野氏系図」(「在野史論<第八集>」 歴史研究会/新人物往来社 ※ 現在は、 合資会社「歴研」に移管) などで、 家系研究家としての地歩を確立しつつある。 平成10年(1998)発行、 「新訂 現代日本人名録98(日外アソシエーツ株式会社/紀伊国屋書店)」 に於いて 「家系研究家」 と紹介され、 以後、 家系研究家となる。
平成13年(2001)12月、 「悲劇と漂泊の皇子たち」 を、 「歴史研究<第487号>」 (歴史研究会/合資会社「歴研」) に執筆掲載。平成14年2月発売の 「歴史群像シリーズ戦国セレクション 驀進 豊臣秀吉」 (学習研究社)に執筆参加、 「豊臣家崩壊への序曲・実子への溺愛が招いた豊臣一門の瓦解」 を執筆。 平成15年(2003)2月、 学と文芸会同人会員と共に、 「学と文芸95集」 出版に参加、 「大名になれなかった将軍指南役・小野次郎右衛門」を執筆掲載。
平成15年3月 「歴史群像シリーズ 69 歴代天皇全史」 (学習研究社)に執筆参加、 「知られざる「後南朝」の系譜・応仁の乱で推戴された「南帝王」」 を執筆する。 この間、 平成9年(1997)11月24日、 日本家系図学会(丹羽基二会長)から、 日本家系図学会理事・扶桑支部長を委嘱され、 同日就任(扶桑町には、 家系図学会会員がいないので、 とりあえず支部長一人でスタート)。  現在は、 病気療養の為退職。療養生活の傍ら研究活動を継続。 平成17年(2005)9月、 著書販売・情報発信の為に、 「扶桑家系研究所」 を設立。 12月23日、HP「異聞歴史館」開館、配信開始(平成17年度、扶桑町ITチャレンジ承認第二号)(17扶桑経第952号、平成17年12月28日、決定通知、平成18年3月24日、正式発効)。現在、暫時リポート掲載中。
著書に 「南朝興亡史(後南朝と熊沢家略記)(近代文芸社)」、 「織豊興亡史(三英傑家系譜考)(今日の話題社)」、 「消された皇統(幻の皇統系譜考)(今日の話題社)」、 「肥前の龍と遠山桜(真説鍋島騒動の系譜・遠山氏の系譜)(企画構成・日本家系図学会扶桑支部/晴雲企画、 発行.新風舎)」、「豊臣氏存続・豊臣家定とその一族(謎々豊臣氏)(企画構成・扶桑家系研究所/晴雲企画、 発行.今日の話題社)」[平成18年(2006)6月14日刊行]がある。
(2006.6.15 現在)
2006年10月5日、中日新聞尾張近郊版のみんなの本のコーナーに「豊臣氏存続」が紹介されました。
詳しくは、中日新聞近郊版をご覧下さい。
 
松永氏関係のリポートは、掲載分をもって終了しました(新たな史料が発見入手できれば再開するかも)松永氏の追跡は、基本系図に系譜がないことから、現状ではこれ以上の追跡は困難です。
真田氏のリポートは、掲載分をもって終了しました。 
尾張・肥前横井氏一族の系譜追跡を開始しました。横井也有・千秋・小楠のルーツやいかに!!
(2008.4) 
赤松系有馬氏のリポートは、掲載分をもって終了しました。
播州小寺氏・黒田氏一族は、掲載分をもって終了しました(新たな史料が発見入手できれば再開するかも)。
黒田氏一族は、掲載分をもって終了しました(新たな史料が発見入手できれば再開するかも)。
山中氏一族は、掲載分をもって終了しました(新たな史料が発見入手できれば再開するかも)。
* 研究を始めたきっかけは、 「日本史の虚像と実像(毎日新聞社)」 に出会い、 熊沢天皇と後南朝を知った事。 本を書こうと思ったのは、 父親が倒れた年齢に到達し、 自分に何が残せるか自問自答した事がきっかけ。 それが無ければ、 ただの「系図オタク」で終わっていたかも・・・・。 しかし、 授業で習わない歴史の探求は、 以外とおもしろいものである。
研究十年を過ぎて
研究を続け、「歴史研究」や「在野史論・第八集」に小論を発表し、著書も数冊刊行すると、自分の知らないところで、自分の名前が登場する事もある。ウィキペディアの記事に自分の名前があるのには、少し驚いた(ウィキペディア「武功夜話」 「武功夜話の問題性と偽書説」参照)。そういえば、十年ほど前に刊行された「新訂現代日本人名録98(日外アソシエーツ発行)」に、家系研究家と紹介されていた。同じページに林家パー子さんや、作家の早瀬圭一氏が掲載されていて、びっくりしたことがある(今はどうなっているか知らない。削除されたか、残っているか?・・・・)。田舎で地道にやっていたことが、少しは知られるようになったかと思う今日この頃。発表の機会が減っているが、とりあえず、小論を、出来るだけまとめておこうと思いつつ、集めた資料と悪戦苦闘している。「南朝興亡史」刊行から11年が経過、12年目に突入する。色々諸般の事情もあり、発表の機会が減ったが、萬小葉・小林氏、ケーズブレインの千田氏のサポートのもと、異聞歴史館開館にこぎ着け、二年が経過し、ようやく土台が定まってきた。刊行できない研究も、暫時情報発信できるようになった。少しづつ追加していくので、末永くおつきあい下さい。
(2008.4.17)
 
 【日本家系図学会扶桑支部
(扶桑家系研究所は、旧会扶桑支部を引き継ぎ、便宜的には、日本家系図学会扶桑支部と称する)
平成21年5月18日、会費納入(振替用紙送付待ちの為遅れた)。日本家系図学会常務理事に正式に就任(扶桑支部は開設せず)。
(2009.5.18)
http://ycr-kakeizu.com/gakkai/index.html
平成21年3月14日、発起人会開催、宝賀会長及び発起人会より常務理事拝命。
(2009.3.15)
日本家系図学会に関する告知
第三次日本家系図学会正式に発足(2009.3.14)。
● 新生家系図学会の名称→→→『日本家系図学会』
● 初代会長→→→→→→→→→ 宝賀寿男(代表発起人)。

● 事務局及び事務局長→→→→ 芳文館・岸芳男(副会長)。
●  芳文館:〒195-0072 東京都町田市金井4−1−16 TEL042-735-3126

(2009.3.24)
http://ycr-kakeizu.com/gakkai/index.html 公式ホームページ開設(4.15)
 詳細情報は、セカンドインフォメーションをご覧下さい。
● 家系・系図に関心のある方は、どなたでも入会できます(芳文館までご連絡下さい)。
詳しくは、芳文館岸芳男氏及び宝賀寿男会長までお尋ね下さい。
※ 宝賀代表へは、古代氏族研究会関連の古樹紀之間(こきぎのへや)の問い合わせフォームから問い合わせ可能です。古樹紀之間(こきぎのへや)でネット検索して下さい
扶桑家系研究所は、第二次家系図学会扶桑支部を引き継いでいるので、便宜的には、日本家系図学会扶桑支部と称することもあるが、正式には日本家系図学会扶桑支部は一旦閉鎖、第三次日本家系図学会に於いては、現時点で扶桑支部は存在せず(組織としての扶桑支部)。理事は、旧組織消滅により退任。
(2009.1.1)
平成20年9月、武田会長の突然の解散宣言を受け、会員有志が、宝賀寿男東京会員を代表として再建グループを形成、旧会常任理事の岸氏、小佐々氏らも参加、宝賀氏を中心に情報交換を行い、再建グループ有志は発起人会を結成し、宝賀氏が代表発起人・暫定代表幹事となり各方面に交渉、会誌発行元と事務局を芳文館と岸氏にお願いし、会の土台を固める。最終的に二十五名の発起人が宝賀氏の呼びかけに呼応集結、『旅とルーツ』の最終号刊行にこぎつけ、丹羽会長前会長と楡井前事務局長の再建した第二次・日本家系図学会は、三十余年の歴史に幕を下ろした。平成21年1月からは、宝賀寿男代表発起人が、正式会長選出まで代表幹事として、発起人グループをベースに第三次・日本家系図学会がスタートする。扶桑支部は、旧会正式解散により廃止、理事は退任。新生家系図学会では、当面宝賀氏の下、発起人の一人として本部付け会員として参加する(新しい組織は、正式に発会後に検討)。
(2009.1.1)
http://ycr-kakeizu.com/gakkai/index.html
平成18年8月に永眠された日本家系図学会丹羽基二会長の後任に、武田光弘氏が就任されました。平成19年からは、武田光弘会長、楡井範正事務局長の体制で運営されることになりました。扶桑支部も、平成19年は存続する事とします(それ以降は未定)。
(2006.12.17)
日本家系図学会(丹羽基二会長・楡井範正事務局長)より、平成9年(1997)11月24日、日本家系図学会会員の早瀬晴夫が、日本家系図学会理事・扶桑支部長に委嘱され、同日就任し、自宅に開設。扶桑町には会員不在なので、支部長一人のミニ支部です。この間、平成6年、「旅とルーツ」に、熱田神宮・名古屋城・曼陀羅寺などのミニルポを発表する。平成8年には、最初の著書「南朝興亡史」を近代文芸社より刊行する。その後、日本家系図学会理事の肩書きで、学習研究社の「歴史群像シリーズ」に執筆参加する(著作・著述一覧参照)。以後、著書執筆の為、家系図学会への投稿は、「前野氏一族」に関する小論発表後は休眠状態。以後「織豊興亡史」、「消された皇統」、「肥前の龍と遠山桜」を刊行する(2006.1.7)。
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 合資会社 歴研(総合出版社 歴研)/歴史研究会(全国歴史研究会)
歴史研究会 昭和33年設立。新人物往来社内に事務局が設立され、後、合資会社 歴研に移管。「歴史研究」の吉成勇編集長が主幹を務める。会誌『歴史研究』を発行(平成19年から年10冊)。インターネット歴史館(http://www.rekishikan.com)より情報を発信している(詳細は、そちらをご覧下さい)。
歴史研究会事務局 〒141-0031 東京都品川区西五反田2の14の10 (TEL.03-3779-3127)
合資会社 歴研 平成12年7月10日、「歴史研究」スタッフらにより設立(設立資本金300万円)。その後、歴史研究会会員有志にも出資を要請、年末に244人の参加により資本金は、586万円となる(H12.12.20.時点)。無限責任社員吉成勇氏が代表となる。
「歴史研究」、「在野史論」の発行、会員の著書の出版、史跡などの見学会などを企画運営する。新人物往来社とは友好関係にある。※新人物往来社は消滅。KADOKAWAと提携。
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