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中国諸家系図
 
このページは、中国の政治家・文化人など、著名人の略系図(詳しい系図が入手できた場合は、歴代系図を掲載することもある)を紹介する。専門の系譜集はないので、伝記・評伝・研究書などと、個人的に提供を受けた資料、レファレンスにより入手の資料などから紹介する。皇帝・王族は、「世界帝王系図集(下津清太郎、近藤出版社)」(近藤出版社消滅により、東京堂出版が引き継いでいる)、「世界歴代王名王朝総覧(東洋書林)」、山川出版社の「世界史小辞典の巻末系図」、同社の「世界各国史」参照。
紹介の系譜は、原則として出典を記すので、そちらを参照されたい。本文記述から系図化しているものもあるから、その点ご注意下さい。
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1. 蒋介石一族略系図(孫文、蒋介石・蒋経国)
2. 魯迅関係系図(魯迅・周作人・周建人、許広平、周海嬰、内山完造)
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4.
※ 各リポート掲載系図の複製・転用を禁ず(企画・作成・著作権は、扶桑家系研究所に帰属します)。
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蒋介石一族略系図
 
蒋介石一族略系図
 
蒋介石は、孫文に仕え、辛亥革命(清朝打倒)、中華民国建国に貢献。北閥と対立した(後に北伐を敢行し、統一政府である国民政府を発足させる)。蒋介石は国民党及び第二次革命の為の革命党を組織するが、失敗し、一時日本に亡命する。その後は、地下に潜った同志と密かに連絡を取りながら国民党を再建、日本と戦争状態の時には、国共合作で日本に対する抵抗運動を行う。戦争終結後、再び共産党と対立、蒋介石と国民党は、共産党との戦いに敗れ、台湾へ政府機能を移し、中華民国をかろうじて維持、大陸は共産党の支配下に入り、1949年9月、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言すると、蒋介石の中華民国は、台湾省のエリアを支配下に置く地方政権に転落した。蒋介石は、中国最高指導者の地位を失った。蒋介石は、同年12月に本土を離れ台湾に向かった。蒋介石は総統に復帰し、台湾の反国民党勢力の弾圧を開始した。東西冷戦が始まるとアメリカの支援も取り付け、中共による台湾侵攻にも備えた。国民党(外省人)による独裁政権がスタートした。蒋介石が没すると、息子の蒋経国が総統に就任した。台湾は、蒋家が支配することになる。その後、中華人民共和国の国連加盟、常任理事国入りが決定すると、中華民国は、各国と国交断絶となり、国際社会に於いて、独立国家としての地位を失い、一地域という扱いになり現在に至る。蒋経国が没すると、李登輝が総統に昇格し、独裁政権は終焉となり、新しい時代が始まった。蒋介石の曾孫は、デザイン会社を起業しているという。台湾が今後どうなるかは定かでない。武力統一か、香港方式による吸収か?その結末は気になるところである。
(2008.3.15)
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魯迅関係系図
 
 
【魯迅】中国の作家。戦前には、国民党の暗殺者に狙われたこともある。上海で内山完造と知り合い、交流を深め、時には匿われたこともある。日本から帰国後、南京政府(中華民国臨時政府)に仕え、教育部員となる。北京に移動後、北京大學の非常勤講師となる。このころから文筆活動を本格化する。1930年に左翼作家連盟を結成する。1932年の上海事変の時には、内山書店へ避難した。1936年10月19日逝去。夫人の許広平は、1956年8月に訪日し、その後、1961年3月に中国婦人代表団を率いて訪日する。1980年4月には、魯迅の長孫の周令飛が日本に留学する。その後、妹の周寧も来日する。魯迅の嫡流は、親日派として知られる。魯迅の嫡男の周海嬰も後に来日する。魯迅は1904年9月から仙台医学専門学校(東北大學医学部)に留学した縁で、1998年11月29日には、当時の江沢民中華人民共和国国家主席が来日の時には、東北大学を訪問している。魯迅に嫡流と内山書店の内山家は、交流が続き、魯迅の孫娘の周寧が日本で結婚したときには、内山家の三代目夫妻が披露宴に招かれている(中日新聞より)。息子の内山深は中国に留学している。
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